オンライン礼拝が行われました。

更新日:2020年6月8日

6月8日(月)オンライン全校礼拝奨励要旨

「自分の語る言葉に責任をもとう」

桜美林学園チャプレン 土橋敏良牧師

皆さんも既に存知のように、ネット上の誹謗中傷が社会問題化しております。そのほとんどが、どこの誰だか身元の分からない匿名のアカウントから発信されたものです。口汚い発言をしても自分がどこの誰だか名乗りもしません。こちらの身元さえ分からなければ、自分がとばっちりを受けることもないだろう…、何を言おうが自分の勝手だ…という気持ちでいるのでしょうか。逃げ隠れできない立場にある人に対して、自分は安全地帯に身を潜めて、毒を塗った悪魔の矢のような呪いの言葉を相手に投げつけて、いい気になっている姿が思い浮かびます。

先ほどお読みいただいた聖書の詩編の御言葉にこう述べられていました。
「神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください。敵の脅威からわたしの命をお守りください。
…彼らは舌を鋭い剣とし、毒を含む言葉を矢としてつがえ、隠れた所から無垢な人を射ようと構え、
突然射かけて、恐れもしません。彼らは悪事にたけ、共謀して罠を仕掛け『見抜かれることはない』
と言います。」
SNS上に自分の本名と顔と住所をさらしながらであれば、恐らく一言も発言できない卑怯な人たちが、『見抜かれることはない』さ…SNSなら何でも言えるさ…と、ほくそ笑んでいる姿が目に浮かぶような詩編の御言葉です。
自分が逆の立場になって、匿名の人たちから、たくさんの誹謗中傷を浴びせられたら、どんな気持ちになるでしょうか。

日本国憲法第21条には、表現の自由と言論の自由が保障されています。でも、表現の自由とは、「公共の福祉」のために有益な、政治的・社会的に正当な批判や言論というものの自由が認められているのであって、目の前の特定の人に対して侮蔑したり差別したりする言動が保障されているわけでは決してありません。「自由」の意味をはき違えて、ネット上に人を誹謗中傷する言葉を書き込んで、人を死に追いやるならば、それはまさに、人を殺してしまう「犯罪」です。
政治や社会に対して、手続きを踏んだ正当な批判や言論とうものは、民主主義社会の向上のためにとても大切なものです。ですから、正当な批判や自由活発な言論は、時の権力者がたとえ圧力をかけてきたとしても、決して封じ込められてはなりません。それが健全な民主主義社会というものです。
でもその一方で、人の存在を否定するような言動は、ヘイトスピーチにせよ、人種差別的な暴力にせよ、誹謗中傷の書き込みにせよ、そんな無責任な言動に対して保障されるような自由は無いのです。

先ほどお読みいただいたヤコブの手紙の御言葉にはこう述べられていました。
「わたしたちは舌で父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から讃美と呪いが出てくるのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。」
私たちはそれでも、胸に手を当てて、自分自身のことについてもよく考えなければいけないと聖書は教えてくれています。すべての人が、誰でも心の中に持っている「罪の性質」については、あなたがたはみな自覚しなければいけないのですよ…と、聖書は私たちに語りかけています。
他人を裁くだけではなく、自分にも同じような「罪の性質」が、実は心の奥底にひそんでいることに気づきなさい。そして、あなた自身もまた過ちを犯さないように気をつけないといけないですよ…と、聖書は語っているのです。
あなた方は、つい先程まで讃美歌を歌って神さまにお祈りを捧げていた、その同じ舌と唇によって、礼拝が終わるや否や、今度は、まるで別人のように、人に対して呪いの言葉を吐きかけていることはないですか? 少なくともあなたがたの間では、このようなことがあってはなりません…と、聖書は私たちに自覚を促してくれているのです。
私たちは、実際には「声」には出さなかったとしても、同じように人の存在を否定するような言葉を心の中でつぶやいたことなら、あるのではないでしょうか。声に出して言わなければ、相手は傷つかないものの、でも、それはあなたの心の中をも知っておられる神さまのみ前にあっては「罪」には違いありませんよと、イエスさまは教えているのですね。だから、私たちはみんな、イエスさまの十字架を見上げながら、素直に自分を見つめ直すことが大事なのだと思います。

私が教会の牧師をしていた時に出会った、ある一人の青年がいました。その青年は、学校でいじめに遭い、ズタズタに傷ついていました。そして、七年間もの間ほとんど外へ出られなくなっていました。いじめられた経験がよみがえって、人が怖くなってしまって、外へ出るというハードルはますます高くなってしまっていたのです。ある日、彼は私に、こんなふうに話してくれました。

「怠けようなんて少しも思ってはいません。でも僕は、親やまわりの人とは全く別の人格を持っている人間なのです。性格も、持っているものも違うのです。
自分だけが特別かも知れない…(でもそうじゃないかもしれない)。普通じゃないっていうことは、とてもつらいです。…それなのに、親によく言われるのは、私たち親に出来たことが、あなたに出来ないわけないでしょう…。そんなに世の中、甘くはないの。もっと本気で頑張りなさい!…って。
常識や、現実や、世間、いろんなものにがんじがらめにされて…、自分の見えている世界、考えている言葉、少しずつ周囲とずれているように感じるけど、それでも今は、僕は、生きることで精一杯なのです…。」と。

そんな言葉を彼は語ってくれました。いじめられ、孤独を味わってはいましたが、でもその分、自分の言葉というものをしっかり持っている、かしこい青年だな…と私は思いました。
芸能人の人たちだって、スポーツ選手だって、みんな自分の生き方、自分の言葉を持って生きているわけです。誰もそれを否定する権利なんか持っていません。でもそんな自分らしさを他人から否定されて、存在そのものも拒絶されて、反論することすら許されないで、ひたすら我慢することだけを強いられてしまったら、どんな人だって、どんなタフな人だって、生きていけなくなってしまうのです。自分らしさを表現できなくなったら、それは自分自身を失うことです。心無い言葉の剣と毒が、その人のその人らしい生き方を押さえ込んでしまうのです。

先ほどお読みいただいた、コロサイの信徒への手紙には、このような御言葉がありました。
「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」
塩は単なる味付けのためだけでなく、食材を活かし、長持ちさせる役目も持っています。自分の発する言葉が、相手を受け容れ、存在をまるごと肯定し、共に高めあっていくために快い言葉を語っていけるようになさい…と、聖書は私たちにエールを送ってくれています。
 
新型コロナウィルスの影響で学校に来られなかった日々、インターネットの恩恵に浴することが出来た反面、それと同時に、ネット社会の怖さも十分思い知らされたことです。桜美林中学・高等学校の生徒である皆さんは、自分が発する「言葉の持つ重み」をお互いに深く理解しあいましょう。
そして、その言葉を用いて、お互いを高めあい、励ましあっていけるように、神さまの見守りを信じて、これからもお互いの「心」を礼拝によって養っていきたいと思います。

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